【自分で稼ぐには】自由と安全は対を成す

開業をして、サービスを作る側をしていて思う事があります。

それは、自分自身が不安定な位置に立っているということ

この「不安定」という表現を見ると、多くの人はマイナスなイメージを持つかもしれません。
しかし、それは案外悪いことばかりではありません。
その裏に何が隠れているか、物事の繋がりを意識して捉え直してみると、また違った視点が見えてきます。

ふあんてい【不安定】 …
[名・形動]安定しないこと。状態が一定していないこと。また、そのさま。「収入が不安定だ」「不安定な政権」「大気の状態が不安定です」

デジタル大辞泉

…引用してきた辞書も、マイナス面ばかりの使用例ですね。
頭に「不」という接頭語が付いてるだけなのに。

はい。不安定ということは「変わりやすい」ということであり、不変でないという意味です。

では安定という言葉を同じ視点から捉えてみるとどうでしょう。

「変わりにくい」という見え方になり、不変、一定、固定といった表現が類推されます。

この時、皆さんはどういった印象を受けますか?

ex:)状況は不変、売り上げは一定、固定概念…

恐らく多くの日本人が、「可も不可もなく」或いは「変化がなく(硬く)つまらない」といった印象を受けるのではと思います。

ここで私が言いたいのは、「単語そのものに悪いイメージを持つな」ということです。

反対に’安定’と同じ視点から’不安定’を捉えなおすと、

「変化する可能性」「未知」「流動的」といった表現にすることが出来ます。

これらはよりポジティブな言葉で言い換えれば、「伸びしろ」「ポテンシャル」と表現出来ます。
potentialなんて、「可能性」という言葉を英語にしただけなのに、ポジティブなイメージで使われていますね。

この事から言えるのは、「人は言葉そのものに影響を受けている」ということです。
裏を返せば、思考が柔軟な人ほど一度に沢山の切り口でその言葉を捉え直すことができているといえます。

例えば赤ちゃんは非力で、1人では生きていけませんが可能性の塊です。
これらは切り離してみるとーと+の要素に聞こえるでしょうが、本質的には同じです。

人により強弱はあるにせよ、皆言葉に対しある種の「自身の価値観」を付与して無意識に発言をしているのです。

さて、ここからが本題です。
自分が思う通りに生きたいのであれば、それを使いこなさなければいけません
少なくとも私はそう思っています。それが、誰も歩んだことのない道を進むときの操舵輪になり、人に惑わされることのなくなる強力なスキルになるからです。

少し抽象度を落として、本題に戻りましょう。

これらの関係は、社会でいう「大人」と「子供」という役割の中でも見て取れます。

子供は自由で安全、好きなことが出来てたのしいと思う人もいるでしょうが、私から見ると少しだけ違います。何故なら、子供は「限られた自由」しか手にできないからです。

自分で事業所得や給与所得を手にしているビジネスマンとしての顔を持つ子供なら話は別ですが、
多くの子供達は親に支えられ生きています。彼らの助けなしでは自立することもままなりません。

与えられたお金(お小遣い)や、与えられた環境(学校)という場所で、好きなことが出来る。
それが彼らの自由です。大人より自由に見えるのは、純粋にそれを活用できる時間が多いからでしょう。

では、大人はどうでしょう。20歳を超え、学校を出て社会人になる頃には、
親からの金銭的な支援がなくても生きていけるよう自立していく必要があります。
この時に、多くの人は「安全」を得るために時間を失います。
就職をすることで、週5勤務や電車通勤といった道を選ぶわけですね。

会社に就職することで、毎月の収入は保証され彼らは「安全」を手にします。
そして代わりに、人生で好きなことを出来る時間、即ち「自由」を代償、対価として支払っています。

こう表現すると、「それが当たり前じゃないの?」と返される方もいるかもしれません。
確かに、周りの人達が皆その道を選んだら、それが普通、当たり前だと思うでしょう。
しかし、それはあなたの普通であって、世界一般常識ではありません。

そもそも常識なんてものは、育った環境や文化、時代と年代によって大きく異なります。
当たり前とは、その人の周りで起きる物事から形成された世界観でしかないのです。
(ですので、私にとって当たり前という言葉は価値観が狭いことを露呈させる言葉なので、あまり使用を好みません。)

では、反対に、私のようなクリエイター、個人事業主や経営者はどうでしょう。

彼らは、売り上げが立つか分からない(当然事前に計画や戦略は立てますが)「不安定さ」の上に、立って生きています。

しかし彼らは、各々の裁量で日々を過ごし、好きなことをして生きているとも言えます。
「自由な時間」を選択した分、自分の人生を自分で保証するしかなくなるのですね。

このように話していると既にお気づきかと思いますが、これは単純に「どちらがいいか?」という話ではありません。
一長一短、表裏一体の価値観である以上、その双方にメリット、デメリットが存在するのです。

そのうえで私なりの見解を発信するとするならば、重要なのは「バランス」だと思っています。

自由すぎてもいいことはありません。束縛がないという事は、繋がりがないという事であり、孤独であることに変わりないからです。

たまに海外の資産家で、巨額の富を築いたが空しくてたまらないという事を云う人がいますが、それはそういう事だと思っています。
逆に、社会人の多くが日頃感じている「退屈」「閉塞感」といった感情も、「安定すぎる日常」からくるものだと思っています。安定が過ぎれば、怠惰でしかありません。
地位や給料の向上が見込めなかったり、やりがいを感じない仕事では、次第にモチベーションも削がれていくでしょう。

大切なのは、両方を味わえる環境を築くこと。
築くと言っても、いきなり一から人を集めるのではなく、既にある場所に飛び込んでもいいわけです。それがあなたにとっての環境になります。
両方を味わえる選択肢を持つことで、しがらみや責任は増えますが、同時にやれることも増えます。
そしてそのしがらみや責任に縛られずに適応することが出来れば、その〝報酬・対価〟として、安全や保障といったものを手にすることが出来るのです。

これが、「自由」と「安全」を使いこなす為の、言い換えれば、自分という軸を持つための秘訣です。

コントロール出来るようになっていくと、こんなことが出来るようになっていきます。
自分もひとつの職業に縛られない生き方をしたい!
この人面白そうだから、話を聞いてみたい!

そう思い一歩踏み出してみたくなった方からのメッセージお待ちしています👍✨

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