ニュースでよく、事件などに巻き込まれた子を「○○ちゃん」と言っているのを目にし、ふと思ったことがあるので記事にしました。
同じ人間なのに、報道の際に「○○さん」と「○○ちゃん」で分ける違いはなんだろう?と。
兄弟併せて報道される際も、お兄ちゃんは○○さんで、弟は○○くんだったりする。
同じような話でいえば、
「鈴木福」くんがいつの間にか「鈴木福」となっていて少し驚きました。(私だけ?
こういった事情には、大人達が対等な一人の人間として見てない意識が見え隠れしている背景が隠れているような気がします。
先の例でいえば、事件に巻き込まれたお兄ちゃんの○○さんの事情聴取と、弟の○○くんの事情聴取で仮に同じこと言っていたとしても、後者の方を必要以上に真に受けない恐れがあるのではないか、ということです。(知能や言語、発話の発達を差し引いたとしても)
ここで私が言いたいのは、「そんなの差別だ!全員同じ呼称敬称にしろ!」といった話ではなく、子供を子どもとして、甘く見すぎなのではないかという話です。
当然、まだ1人では生きていけませんし年相応ということで、大人が世話しなければならない部分もあると思います。
しかし、下手(へた)に下手(したて)に見ることは「一人前の人間」として見ていないことと同義であり、ともすればそれは成長の機会を奪っていることになりかねないのです。
「甘やかす」と「見下す」の違いは、相手に軽蔑や小馬鹿にする意思があるかないかの違いです。
相手の不足している能力の側面を上から見下ろしているという観点でいえば、同じなのです。(というとあまり気持ちよくない方もおられると思いますが)
その点、鈴木福くんはどうでしょう(私はくん付けするのが好きなので付けます)。マスコミや報道関係者が君付けで接する一方、幼少期からの役者業では「一人前の子役」として扱われることを目指し、事実そうして扱われてきたはずです。
つまりは、彼は幼い頃から1人前として扱われてもらえるような環境に身を置いていたからこそ、早くからあれほど成長することができたのです。
同世代の所謂「一般的な/大多数の」子供では、あの量の台詞やシナリオを頭に入れ込み、演技をするのは至難の業でしょう。
ではそれを成し得たものは何か。
福くんの努力はもちろん、「その環境」である「大人達」の成長を抑え込まない意識の持ち方が大切であったと、私は捉えています。
その着眼点は、教育者が抱いてるいるかは大切なお子さんを塾や学校、趣味の場などに預ける際に非常に有効な目利きとなります。
何故なら、根底にそれがあるかどうかが「みな一様に歳下の一人前以下の存在」として無意識に見なされるか、「一人一人の個性と向き合い伸ばそうとしてくれるか」の違いに繋がるからです。
それは言い換えれば、「期待してるかどうか」とも表現できます。
私たちが隣人として認識している個々人の人間と、そうでない大多数として認識している人間との違いは、「関心があるかないか」です。
一人の人間として向き合ってくれる人の元で、成長するようにしてください。
それが見識を広げることに繋がり、自身の成長と向き合うことにも繋がります。
ただ闇雲に与えられたカリキュラムをこなしているだけでは、「一人前の大人」にはなれないのです。
今の時代、ITが発達したおかげで昔のように、生まれた場所の傍の学校に通わなければならない、地域の人たちとしか関われないといった地理的な制約はなくなりました。
今や通信授業だけで高校卒業できるシステムも存在しますし、望めば海外の大学の授業だって無料で受けられます(私自身はオンラインのまま卒業できる大学に通っています)。
この記事を読むのもそう。
今や、少し努力するだけで、自分から環境を手にしやすい時代になってきているのです。
環境を変えられるかどうかは、あなた次第です。
この点はあなたの人生で、決して忘れないでください。
望まずにやる行動は私は意味がないと思っていますし、
大切なのは何よりもまず、本人の意思です。
ドラゴン桜でもいっていましたが、
「親にやらされているだけ」の状態だといつまでたっても本当の意味での成長は訪れません。
自分の意思で、面白いと思った道に進んでみて下さい。
そこを突き進むことが出来れば、きっと、あなたの人生は揺るぎないものになるでしょう。
私たちのチームでは、現在個性的/意欲的な子供たちを募集しています。
詳しくは下記レッスンページや、ポートフォリオをご覧ください。
中学生(資質あれば小学生も可)〜受け付けておりますので、興味ある方はお気軽にご連絡ください。٩(๑❛ᴗ❛๑)もちろん、高校や大学を出た社会人の方も対象にしています。
この記事を読んだあなたの人生が、より豊かなものになりますように。